理想と現実と

昨日は派遣で、失敗してしまった。

難聴者に「要約筆記が書くのを待っていると、言いたいことを忘れちゃうんだよね」

と言わせてしまったのだ。

書くのを待たせる要約筆記なんて、要約筆記じゃない。

 

私はチームリーダーで、新人もいるチームで、

難聴者の発語もいろいろだし、

みんなでフォローしあってやろうね、と打ち合わせて話し合った。

マスクもあり、聞き取りにくいので、

マイクを使ってもらうことをお願いし、

それでも聞き取れなかったら挙手するから言い直していただけますか、と

お願いしていた。

難聴者も、快諾してくれた。

それなのに、だ。

 

みんな聞き取ることだけに必死になり、

話の内容を聞きつかむにはほど遠かった。

メンバーには10年選手がずらりと並んでいたのに、

要約技術はどこいった? という感じで、

イメージと違う先輩方の「要約」に、椅子から転げ落ちそうになった。

 

そういう自分が素晴らしい通訳ができたとは口が裂けても言えないけれど。

 

話が紛糾して、すれちがって、

「私の言いたいことがどうも伝わっていないんだけど」と繰り返す難聴者の

その発言を書かずに、

言い直した言葉だけを、ある意味ムキになってそのまま書いていたメンバー。

 

要約筆記って、「意思疎通支援事業」なんだけど。

耳に飛び込んできた言葉をただ書くのが「要約筆記」ではないのに。

 

でも、

リーダーとは名ばかりのふがいない自分に一番腹が立つ。

 

派遣コーディネーターに報告したら

「まだ2年生だから、失敗しながら覚えるしかないよ」

と慰められ(?)

不覚にも涙がでた。

「なんで同じ想いの仲間がいないんだろうねえ…」

なんて言われて、涙が止まらなくなった。

 

誰のために何をするのか。

書けたか書けなかったかというのは何をもとに判断し評価するのか。

振り返りで、

「みんなで聞き取りはフォローしあえてよかった」なんて

私は言えない。

だって、聞き取れない時、誰も挙手しなかった。

そうして、なんとか聞き取り、書いた時には

話に大きく遅れていたんだ。

 

あんなの通訳じゃないよ。

 

そして、誰より罪深いのが、

違和感を覚えながら介入をためらった自分なんだ。

誰のために通訳としてその場にいるのかをしっかりと認識できていたら、

技術も経験も知識も、ないないづくしの2年生にだって、

もっと何かできたはずなんだよ。

 

2度とこんな思いはしたくない。しない。

昨日難聴者に言われた言葉は、絶対忘れない。