根本聡一郎『人財島』※ネタバレあり
感想は読書メーターに書いたんだけど、書き切れなくて。
本書には仕事にまつわるさまざまな問題が盛り込まれている。
ブラック労働、生産性を上げること、コミュニケーション、などなど。
ほかにも、引きこもり、発達障害、ギャンブルに薬物。
「前半はカイジの世界」というレビューもある。私はカイジは藤原竜也さんが演じた映画をちらっと見たことがあるだけで、よく分からないけど。
そういう、いわば「濃い」内容の中で、胸を衝かれた部分があった。
第13章、人罪フロアのリラクゼーションルームで、主人公の北原が清川という男と話しているシーン。
清川が島に送られてくる前は引きこもりだったと聞き、自分の友達も同じだと語り始めた北原。その友達は少し変わったところはあるが記憶力がよく、絵がとても上手で、周囲の理解があれば社会の役に立つはず、と話す。
と、清川の態度ががらりと変わり、「おまえも育成官と同類だ」となじられる。
「だいたいあんたみたいな良い子ぶったやつは、僕みたいな役立たずを見ると『本当は社会の役に立つのに』とか言い出すんだよ。そういうやつは結局、あの育成官どもと変わらないんだ。『人は社会の役に立たなきゃ生きてちゃいけない』と思ってんだから」
清川のこの台詞が刺さる。
私もちょっと前まで北原と同じだったから。
それでいて、障害者を理解しようとしていると自負していた。愚かだ。何年経っても恥ずかしくて、逃げ出したくなる。どこからどこへ逃げようというのか、自分でも分からなくて笑っちゃうけど。
あれは、重度障害者の大量殺傷事件の後だったか。
「障害者は不幸しか生み出さない」
「生産性の低い人間は生きていても仕方ない」
こうした議論はあの事件に限らず、何度となく持ち上がる。
そんな中で、知人があるデパートの特例子会社を取材し、業界誌に掲載されただけでなく、ブログにも書いた。
そこでは、ギフト用のくるくるリボンを知的障害者が作っているということだった。
それにより障害者雇用が生まれた。また、障害の特性から真面目で集中力が高く、丁寧な仕事ぶりで、隙間時間に売り場の販売員が作るよりも品質のよいものができるようになった。
特例子会社なので、授産施設のような低賃金でもない。それで納税できるようになった人も多く、「障害者の自立」が達成されている。
さらには、子会社に任せることで販売員の負担が軽減し、接客や商品管理などに注力できるようになったとのことだった。
清川の話にも出てくるナチスドイツが障害者の断種・不妊化手術を行い、やがては「安楽死政策」と称して大量殺戮を行った(T4作戦)ことを大学の卒論で扱って以来、私は「障害者は穀潰し」という主張を見るたび反論したくなる。
それで、知人のブログにいたく感銘を受け、「障害者の中にも納税している人がいるのだから、一概に社会のお荷物扱いはできない」みたいなことをSNSに書いたりした。
じゃあ、納税するほど働けない人はどうなんだ?
と気づいたのはいつだったかな…
要約筆記者養成講座でも障害者の自立運動に少し触れる。
そこで「自立」という言葉から健常者がイメージすることとは、だいぶ違うのだと学んだ。
映画「こんな夜更けにバナナかよ」とか「インディペンデントリビング」とかを見ると理解の助けになると思うけど、誰にも頼らず自分の稼ぎで食っていくことが「自立」ではない。
それって本当は障害の有無には関係ないことなんだと今は思う。
「人は支え合って生きている」と言葉にするとキレイゴトで偽善っぽくさえ感じられるが、実際そうなのだ。
誰かが言ってた。
子供が生まれてくる前は、どうか無事に生まれてくれと、それだけを願っていたのに、いつの間にかいろんな欲が出てくるんだなって。
欲にもいろいろあるけど、人に迷惑をかけないようにとか、願わくば世のため人のためになにがしかしてほしいとか、気がつけば「願い」を通り越して「要求」になっているかもしれない。
…と、自分の子育てを振り返ってまた背筋が寒くなる。
なんだかもう、まったくとりとめのない内容になってしまった。
人はなぜかけがえのない存在と言えるのか。
何かが秀でているからなのか。
誰かの、何かの役に立つからなのか。
生きることの価値とは何なのか。
そういうことを、改めて突きつけてくる作品でした。
読んでよかった。また考えます。